「神ともにいまして」と葬儀|歌詞とその意味【youtube動画】

キリスト教葬儀ブログ

「神ともにいまして」という讃美歌があり、世界的にも葬儀や別れの歌として歌われます。

またキリスト教系の学校だと卒業式の際などに歌われます。

「神ともにいまして」歌詞とその意味と歌う是非について今回は解説しましょう。

「神ともにいまして」の歌詞と動画

まずは、動画と歌詞を確認してみましょう。

  • 1.神ともにいまして
    行く道を守り
    あめのみ糧もて
    力を与えませまた会う日まで
    また会う日まで
    神の守り
    なが身を離れざれ2.荒れ野を行く時も
    嵐 吹く時も
    行く手を示して
    たえず導きませまた会う日まで
    また会う日まで
    神の守り
    なが身を離れざれ

    3. 御門に入る日まで
    いつくしみ深き
    み翼のかげに
    たえずはぐくみませ

    また会う日まで
    また会う日まで
    神の守り
    なが身を離れざれ

「神ともにいまして」の歌詞の意味

この歌詞は、上述の通り、神様の守りと導きについて歌っている讃美歌です。

歌詞全体を通して、神様が常に人を「守り、導き、支えてくれる」という信仰の深い慰めと希望を表現しています。

各節では、人生のさまざまな困難な状況(荒れ野を行く時、嵐が吹く時、苦悩の時)においても、神様が絶えず寄り添い、導き、慰めを与えてくれることを歌っています。

  • 1. 神は行く道を守り、力を与えてくれる
  • 2. 荒れ野や嵐の中でも、常に道を示し導いてくれる
  • 3. 苦しく憂鬱な時も、光を照らし慰めてくれる
  • 4. 最後まで、神の愛と守りは変わることなく、慈しみ深く育んでくれる

各節の最後に繰り返される「また会う日まで 神の守り なが身を離れざれ」という言葉は、神の守りが永遠であり、決して離れないことを強調しています。

全体として、困難な時も神を信頼し、その守りと導きを信じる強い信仰の精神を表現した歌詞と言えるでしょう。

「神ともにいまして」を葬儀で歌わないケースも有る

常に有名な讃美歌ではありますが、すべての教会、すべての葬儀で歌われるかというとそういうわけではありません。

wikipediaを見ると分かる通り「民謡的で感傷的なことから標準的な賛美歌として不適当とされ米国の賛美歌からは姿を消した」との記載があります。

これは受け取り方が難しいところではありますが、単純に言うと神様を賛美するというその讃美歌の本来の目的から少しずれ、感傷的で情緒的な「別れの歌」という性質に流れてしまいがちなことが、批判の対象となった点と考えられるでしょう。

しかし、もちろんこれは「教会」によって対応は異なり、この讃美歌を歌う教会もあれば、より適切だと考える別の讃美歌を葬儀で選ぶ教会もあります。

歌うことを完全に避けるというよりは、各教会の判断に委ねられているということです。

賛美の意味

いずれにしろ、いちばん重要な点は賛美歌をなぜ歌うのか?という核心部分でしょう。

なぜ賛美歌を歌うかと言うと「真の神のみが賛美にふさわしい」ということです。

キリスト教の信仰においては、被造物ではなく「創造主」のみが、真の賛美の対象たりえることが聖書全体を通して記載されています。

神の偉大さ、慈悲、全能性、そして無限の愛を言葉と心で称えることが、「賛美歌」の究極的な目的となります。

詩篇の言葉が示すように、「主はほめたたえられるべきかな」という信仰告白は、神の卓越性と、神のみが賛美に値する絶対的な存在であることを明確に宣言しています。

賛美歌を歌う意味は、まさにこの究極的な真理 – 神のみが賛美にふさわしいという信仰の核心 – を表現し、体現することにほかなりません。

それは葬儀で歌うにしろ、卒業式で歌うにしろ一番重要と言えるでしょう。

まとめ

今回は「神ともにいまして」の歌詞と意味について解説しました。

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