キリスト教の儀式において欠かせない賛美歌、「いつくしみ深き」について紹介します。
この賛美歌は、キリスト教の葬儀の場面に限らず、日曜礼拝でも広く歌われ、それにとどまらず、クリスチャンでない人々にも親しまれている代表的な讃美歌です。
今回は、キリスト教葬儀でもよく歌われる「いつくしみ深き」を一緒に歌い、その意味と魅力を味わってみましょう。
いつくしみ深き(友なるイエスは)の合唱曲をまずお聞き下さい
まずは、著名な新日本合唱団で、讃美歌第312番 いつくしみ深きの合唱をお聴きください。
Youtubeでいつくしみ深きですと、森山良子さんの歌われている曲も有名です。
いつくしみ深きの歌詞
いつくしみ深きの歌詞は以下のとおりです。
- 慈しみ深き 友なるイエスは
罪 咎憂いを 取り去り給う - 心の嘆きを包まず述べて
などかは降さぬ 負える重荷を - 慈しみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐む - 悩み悲しみに 沈める時も
祈りに応えて 慰め給わん - 慈しみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて 導き給う - 世の友われらを 棄て去る時も
祈りに応えて 労り給わん
いつくしみ深きの歌詞の意味
いつくしみ深きの賛美歌にははっきりとして意味があります。イエス・キリストの深い慈しみと愛、そして人間の弱さや苦しみを支えてくれる存在としての神を表現しています。
- 第1節:
- イエスは罪や咎、憂いを取り除いてくれる友
心の嘆きを隠さず、正直に述べることができる
重荷を取り除いてくれる存在 - 第2節:
- イエスは人間の弱さを理解し、憐れんでくれる
悩みや悲しみに沈んでいるときも、祈りに応えて慰めてくれる - 第3節:
- イエスは変わらぬ愛で人々を導く
世間の友人が去っても、イエスは常に寄り添い、ねぎらってくれる
全体として、いつくしみ深きは、人間の苦難や弱さを理解し、無条件の愛で支えてくれる神の存在を歌っています。
キリスト教葬儀においても同様の「いつくしみ深き」
それは葬儀においても同じです。死は悲しみではなく、神様の慈しみによる新たな生への移行として捉えられます。
このいつくしみ深きの賛美歌は、人生の最も暗く苦しい瞬間においても、神の愛が決して離れることなく、慰めと希望を与えてくれることを力強く表現しています。
葬儀という悲しみの場面においても、永遠の生命への旅立ちとして歌うことができます。イエスさまの愛は、死を超越し、喪失の痛みを癒し、希望の光を届けてくれるのです。
人間の苦しみや悲しみ、弱さは普遍的な経験です。しかし、いつくしみ深きは、そうした苦難の中にあっても、神の慈しみは常に存在し、個々の魂を包み、支えてくれることを告げています。死別の悲しみの中にあっても、神の愛は慰めとなり、新たな希望を与えてくれるのです。
葬儀において、いつくしみ深きは遺族と参列者の心に安らぎを与え、現世での別れが決して最後ではなく、より大いなる神の愛の中での再会への希望を示唆します。死は終わりではなく、永遠の生命への移行であり、イエスさまの慈しみはその旅路を照らす光となるのです。
まとめ
今回は、キリスト教葬儀でもよく歌われる「いつくしみ深き」を一緒に歌い、その意味と魅力を味わってみました。
葬儀や礼拝、合唱の中で、この歌詞に耳を傾けるとき、私たちは自分自身の痛みや喪失、弱さと向き合いながら、同時に慰めと希望を感じることができるでしょう。
大切な人を失った悲しみの中にあっても、日常の苦労や試練に直面しても、この歌は私たちに神の変わらぬ愛を思い出させてくれます。イエス・キリストのいつくしみ深き慈しみは、私たちの痛みを理解し、受け止め、癒してくれる存在であることを教えてくれるのです。