何か新しいものを存在させたり、生じさせたりすること。神は、存在するすべてのものを創造されました。
神は次のように6日間でこの世界のすべてのものを創造されました。
- 1日目: 光
- 2日目: 空(天)、海
- 3日目: 陸地、植物
- 4日目: 太陽、月
- 5日目: 鳥、魚
- 6日目: 家畜、人間
1日目は3日目までは、物質や生活の基盤となる環境を整え、4日目から6日目までは、実際的な天体とそこで暮らす動物・人間を創造されました。
神は創造の一番最後に、自分に似せて人間を創造されました。それは、自分が愛することができる存在、心を通わせることができる存在を望んでいたからだと言われています。
神はなぜ天と地を創造したのでしょうか?聖書はその理由を説明していません。しかし創造の進行過程を観察することでそれが推測できます。
神は第一の日に光を創造し、第二の日に大空を創造し、大空の下と大空の上に水を分けられ、第三の日に地と海を分けられた後、草と、種を持つ草と種を持つ実をつける果樹を創造されました。また第四の日には太陽と月と星を創造され、第五の日には鳥と魚をそれぞれ創造され、第六の日には家畜と這うものと地の獣を創造されました。そしてついに神はその全てを創造なさった後に、御自分にかたどって人を創造なさり人に言われました。
そして神は人に全地の草と木も与えられました。
この創造の状況を注意深くみますと、神は人を創造物全ての中の主人公として作ったことが分かります。すなわち神は創造なさった天と地と海は全て人という主人公のために備えられた舞台で、全ての草も木も人の為に備えられ、天とその主人公として人を創造された事です。神は人の為に六日間その全てを備えられました。
そうだとしまうと、神はなぜ人を創造し、なぜ人の為にその全てのプレゼントを丁寧に備えたのでしょうか?ここで我々はアダムのためにエバを造る創世記2章を調べてみる必要があります。神はエバを造る前に一人で言われました。
そう言われた後に神はアダムが眠る間にそのあばら骨を一部抜き取り女を創られました。しかしその前後をじっくり読んでみますとと、アダムが神に自分の寂しや孤独感などを訴えたことは一度もありませんでした。アダムは何も言いませんでしたが神は人が独りでいるのを’良くない‘と言われました。なぜ神はそう言われたのでしょうか?
それはすなわち神ご自身が寂しいお方だったとしか言い様がありません。神は一番偉いお方で常に独りで決め、独りで行うお方です。相談相手も話し相手もいません。だからアダムに助ける者が必要だというのをすでにご存知で、それと同じように神ご自身もだれか愛する相手が切に必要でした。大きく深い寂しさを分け合い、慰めてくれる相手が必要でした。そして神は人を造られました。その手先で丁寧に土を練り上げ、それで大事な存在を造れました。
神は愛するために御自分にかたどって人を造られました。なぜ神は人を自分に似せて造られたのでしょうか?なぜ人にあれほど完璧に自由を与えたのでしょうか?神は裏切る自由のようなのは与えなくても良かったのではないでしょうか?
しかし、神はそんな不完全な存在を造っておいて愛するお方ではありません。おもちゃやペットを持って遊ぶのは愛ではありませんでした。真の愛はお互いが対等な立場の時だけに成立します。だから神は人にそのお方を裏切る自由を含め完全な愛を下さいました。そして人を造るや否や神は直ちに熱烈な愛に落ちました。
そして一番寂しいお方、寂しさを分け合う相手が欲しかった心は既に相手の裏切りで傷つくかも知れない傷と痛みを覚悟していました。神はなぜその寂しさをもっと我慢せず、問題の種になるかも知らない人をお造りになったのでしょうか?なぜ人が神を裏切り、その歴史を悪い方にするかも知らないのにそんな冒険をなさったのでしょうか?
だから神は素晴しいお方です。神はその深い寂しさをじっと我慢できるお方です。そのお方は万物を造られた神は指揮者、そんな宿命的な寂しさのようなものはいくらでも我慢できる全能者です。しかし、その深い孤独に堪え、石のように沈黙する神ならどれほど面白くない神でしょうか?しかし、神はその全ての危険を抱えながら‘愛’することにお決めになりました!その上、真実で無垢な愛を分け合うために人と対等になるために神ご自身も人の姿で低くならないといけない問題までありました。我らの素晴しい恋人である神様は待って来て後に起ころうとする嘲りやそしりまでも覚悟した素晴しい‘愛’をすることを決心なさいました。
もし無の世界で何でも生み出せるとしたら?
ある学生が卒業研究としてこんなアンケートをいろいろな人々からとりました。
- もしあなたが今、無の世界にいるとして、何でも創造することができるとしたら、何を創造しますか?
いろいろな答えがありましたが、一番、多かった答えは、友達や話し相手など、自分が心を通わせることができるような存在でした。つまり人間を創造したいということです。お金や車や大きな城などを創造したいと答えた人はほとんどいなかったとのことです。このアンケートの回答者はほぼすべてノンクリスチャンであり、神による人間の創造についてはほとんど考えたことも聞いたこともない人たちです。
このアンケート結果によると、人は本性的に自分を理解してくれる存在、自分と心を通わせることができる存在、愛することのできる存在を求めているといえます。また似た者同士でないと愛することができません。魚や蛇と会話をすることはできませんし、犬の場合は忠実な犬もいますが、人間のように会話するというわけにはいきません。だから神は自分と同じ姿で自分と同じ能力を持つ人間を創造したといえます。
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