自分が所有するものの中から十分の一をささげる献金を指します。自分の所有である収穫物の十分の一をささげることは古代から行われており、現代では、自分が所属する教会において毎月の収入の中から十分の一を貨幣でささげるのが一般的です。例えば、月収20万円の場合には、2万円をささげます。
十分の一について、聖書でいくつかの記述があります。
1. 創世記14:20
アブラハムはメルキゼデクに戦利品の十分の一をささげました。自分の所有である農産物、家畜、戦利品等の十分の一をささげることは、古代から行われていたようです。
2. レビ27:30-33、民数記18:26
十分の一税に関する法律が初めて制定され、農産物と家畜の十分の一は主のものであり主にささげることが規定されています。また、イスラエルの人々が主にささげる献納物の十分の一をレビ人に与え、レビ人はその中から十分の一を主にささげるように記載されています。
レビ人に告げてこう言いなさい。わたしがあなたたちの嗣業として与えた十分の一を、あなたたちがイスラエルの人々から受け取るとき、そのうちの十分の一を主にささげる献納物としなさい。(民数記18:26)
3.マラキ3:7-12
十分の一を捧げ物をささげるように記された律法を無視する人々に対して、十分の一をささげるならば、必ず祝福すると、預言者マラキが語っています。
Q1:
クリスチャンは十分の一献金を必ずささげなければならないでしょうか?
A1:
旧約聖書の記述を見ますと、収穫物の十分の一を取り分けてささげるように命じられていますが、現代では、そのような法律があるわけではないですし、教会においても明文化されたり信徒に命じられたりしてはいません。各自が自分の判断でささげています。
ただ、教会を運営していくうえでは、スタッフメンバーの給料や、建物の賃貸あるいは購入費用、電気・ガス・水道代、その他諸経費等が必要であり、各家庭でも年間数百万円の支出があることを考えれば、教会もそれなりの費用が必要であり、収入の十分の一くらいの金額を捧げなければ教会を運営していくことが困難であることは想像がつくのではないでしょうか。強制される心ではなく、日々の糧やあらゆる恵みに感謝して、自分が教会を支える気持ちでささげれば良いでしょう。
Q2:
収入の十分の一についてですが、サラリーマンの場合、税引き前の金額か、それとも税引き後の手取りの金額のどちらを指しますか?
A2:
聖書では、十分の一が具体的にどの範囲を指すか明確な記述はありませんし、現代でも、特に定義はされていません。それぞれ、自分で十分の一を判断してささげています。ただ、聖書が記述された時代の背景を考えますと、当時は農業が中心で、畑で収穫を行い倉庫に持ち帰ってきた農作物、つまり全収入の中から、十分の一と税金をそれぞれ取り分けて各場所に納めたのではないかと想像されます。新訳聖書においてもイエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と仰られていますので、どちらも並行して正しく納めなさいと命じられていると考えられます。
現代では、工業やサービス業が発達して、サラリーマンとして労働する人が多く、税金や各種保険料等も給料から天引きされて、銀行口座に振り込まれることが主流となっていますので、実際にどの金額を十分の一の基準にすれば良いか難しいところもありますが、上記の聖書の記述から考えますと、税引き前の金額を基準にするのが妥当ではないかと思われます。
他に、会社負担の交通費や、年末調整の返還額も銀行口座に振り込まれるが、それはどうなるかという疑問が生じる方もいると思いますが、そもそも献金は金額そのものよりもささげる私たちの心が重要ですので、きっちり計算しなくとも、感謝をもって少し多めに金額を用意して捧げたら良いのではないでしょうか。
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