聖書が起源となって出来上がった慣用句。物事の解決策を見つけたり、間違ったことに心を囚われていてそれが正気に戻った時に『目から鱗が落ちる』という表現をします。
この語句は、新約聖書の使徒言行録9章3節から19節にかけての有名な場面に出てきます。イエス・キリストの十字架での死後、そして復活の後、彼の弟子達は各地にその事実(福音)を伝える旅に出かけました。そして全国で多くの人がイエス・キリストが神の子であることを信じキリスト教徒になりました。しかし、イエス・キリストを否定し、当時勢力を持っていたユダヤ教は、拡大するキリスト教に脅威を感じ迫害を始めました。その過程で熱心なユダヤ教徒であったサウロという青年は、キリスト教徒を迫害するリーダー的な役割を果たしていました。彼はキリスト教徒を見つけたら男女問わず捕まえて縛り上げ、牢獄に送っていました。ところが、彼が多くのキリスト教徒がいるというダマスコに出かけた時、突然天からの光が彼の周りを照らしました。サウロは地に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。」と呼びかける声を聞きました。サウロが「主よ、あなたはどなたですか。」と言うと、「私はあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」との答えがありました。サウロは地面から起き上がって目を開けましたが、何も見えませんでした。サウロは3日間目が見えず食べも飲みもしませんでした。
さて、ダマスコにアナニアというイエス・キリストの弟子がいました。主は幻のなかでアナニアに現われ、「サウロという若者の上に手を置いて『兄弟サウロ、あなたがここに来る途中現われてくださった主イエスは、あなたが元通り目が見えるようになり、また聖霊で満たされてイエス・キリストを信じるようにと私をお遣わしになったのです。』と言え。」と言われました。アナニアがその通りにすると、サウロの目から鱗のようなものが落ち、彼はたちまち元気になり元通り見えるようになりました。そしてサウロは身を起こしてキリスト教徒であることを公に示す洗礼を受け、食事をして元気になりました。
このサウロは後にパウロと呼ばれ大宣教者となります。多くのクリスチャンを死に至らしめ、いわばクリスチャンの天敵であったサウロを、回心後、宣教者として大きく用いてくださることは神様の御業の不思議さをあらわすものです。
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