1世紀ごろのローマにおいて最も残忍な犯罪を犯した者に対する処刑方法でした。ローマ国民に対しては決して執行されないものでした。、33年の生涯において一度も罪を犯すことのなかったイエス・キリストがこの十字架刑により命を落としました。
★十字架のアクセサリー
イエス・キリストを語る時、何があっても忘れてはならないのが十字架による死と復活です。よく街で十字架のアクセサリーを身につけた人を見ることがあります。クリスチャンかというと大半がそうではありません。ではなぜ彼らは十字架を身につけているのでしょうか。「かっこいいから」おそらくそのような答えが返ってくることでしょう。しかし、その十字架は果たして本当にかっこいいのでしょうか。
イエス・キリストの生きた時代、ローマにおいて十字架による処刑方法というのは、最も残忍な犯罪を犯した者に対するものでした。しかし、生涯において一度も罪を犯すことのなかったイエス・キリストがこの十字架により命を落としました。なぜでしょうか。主イエスが十字架につく事が決まったのは、ローマの祭司長や議員たちの意見でした。彼らに上手に乗せられた人々が大声で「十字架につけろ!十字架につけろ!」と叫んだのです。そして、イエス・キリストは、その十字架への道を逃れることなく自ら進んでいったのです。アダムとエバによって始まった人間の罪はますます増え広がり、もはや神ご自身がいけにえとならなければならなくなってしまいました。
それは、私たち一人ひとりに対する愛の証拠です。十字架はあなたの罪を赦し、あなたをしっかりと御手に抱きしめるために神様がお立てになられたのです。十字架を見上げて下さい。悲しくて、辛くて、自分の罪の汚さにうずくまざるを得ないかも知れません。しかし、その赦しのために十字架が立てられているのです。そう考えると、十字架を身につけ街を歩く人々の「かっこいいから」という理由がここにあるのかもしれません。彼らはそのことを認識していないかもしれませんが。これほどかっこいい愛の示し方はありません。
このことを深く思い、感謝がわきあふれるまで、十字架を見上げて喜びの歌を歌いつつ今日も前進しましょう。
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