男性と女性が自分の妻または夫以外の人と性的な交渉を持つこと。姦淫は罪であると聖書に明確に定められています。
旧約聖書の十戒の第7戒目で姦淫は禁じられています。
かつて、姦淫する者には死刑という重い罰が課されました。
現代では、刑法に触れるようなこと以外であれば、結婚前の恋人同士の性交渉や、結婚後の不倫による性交渉も罰せられることはなく世の中で認められる風潮がありますが、新約時代になっても律法が無効になったわけではなく、聖書の基準では依然として罪になります。しかし、人間は正しい基準を知らなければ、簡単に罪を犯してしまい、自らの人生を破壊してしまうことになりかねません。
できちゃった結婚(できちゃった婚)
婚姻関係にない男女が性交渉によって妊娠し、その結果、結婚することをいいます。本人たちが必ずしも結婚を望まないが妊娠してしまったために社会的な事情から結婚する場合もあります。当然ながら、結婚前の性交渉は聖書では姦淫の罪に当たり、堅く禁じられているものです。たとえ聖書を知らなくても人間には神様から与えられた良心および善悪を判断できる能力があり、結婚前に妊娠することに人は罪の感覚や後ろめたさを覚えてきました。また社会的にも歓迎されるものではなく身の狭い経験をしなければなりませんでした。
ところが最近では肯定的な表現に言い換え、妊娠がめでたいことを表現する「おめでた婚」あるいは、子宝を授かったことを表現する「授かり婚」と言われることがあります。他にも、たとえば妊婦姿での結婚式を意味する「マタニティウェディング」という言い方など様々な造語が作られています。
聖書の基準に照らしていうならば、これほど大きな罪はありません。本来、罪であることを罪でなくむしろ正しいことであるかのようにすりかえてしまうのは神様が最も嫌われることです。特に「授かり婚」という言葉は神様に対する侮辱であるとすらいえるでしょう。子供は誰が授けるものでしょうか。どんなに科学や医学が発達した現代においても妊娠は人間が操作できるものではなく神様の恵みによるものです。しかし、姦淫の罪を犯した者に、神様が子供の祝福を与えるはずがありません。ダビデも部下ウリヤの妻と姦淫する罪を犯しましたが、それによって生まれた子供はすぐに死んでしまいました(サムエル下12:18)。神様が与えるはずもないのに、神様から授かったかのように表現することは、どんなに神様を悲しませ怒らせていることでしょうか。
厚生労働省の資料によれば、日本において嫡出第1子出生数のうち妊娠期間よりも結婚期間の方が短い(つまり結婚前に妊娠している)割合は、標準化後の数値で1980年(昭和55年)に10.6%だったものが2004年(平成16年)には26.7%と、約20年間で倍増しています。つまり、だいたい4人に1人が、できちゃった結婚ということになります。
また、結婚年齢が低いほど、できちゃった結婚の割合が高くなっています。結婚年代別でみますと、20歳未満の結婚の場合は8割以上の割合で、できちゃった結婚、20~25歳のカップルの場合でも50%以上の割合で、できちゃった結婚です。
一方で、できちゃった結婚後の場合は、子供ができたことで本人達の心の準備ができぬまま大急ぎで結婚するケースが多いため、できちゃった結婚で結婚しても、その後別れてしまうケースが多く、できちゃった結婚後の離婚率は高くなるといわれています。
できちゃった結婚後の離婚率についてですが、少なく見積もっても、通常の結婚の離婚率の倍、5年以内の離婚率は60%以上になります。この離婚によって残された子供たちには大きな傷が残ることでしょう。
聖書の基準を知らなければ、罪の意識もなくどんなに恐ろしいことを行なってしまい、その結果、不幸に陥ってしまうか、ここに見ることができます。「姦淫してはならない」との戒めを守ることは、自分自身の人生を守り豊かにすることであり、また、子孫たちの人生を豊かにすることでもあります。
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